こんにちは!うるり(@nami_uru)です。
みなさん、いきなりですが、質問です!自分の社会的な性別を認識したのは、人生のどの時期ですか?
「なんのこっちゃ」というように思うかもしれませんが、まずは聞いてください。私は、中学1年生の時です。
ただし、認識ではなく、それは大きな疑問を持ち始めた時期です。
この記事ですが、「LGBT」という概念をもっと身近に感じてもらいたいなという思いを込めて書いています。共に豊かに住むことのできる社会を構築するために、一緒に考えられる機会になればと思います。
性自認・・・の前に疑問が湧いた
私が通っていた中学校の制服は、伝統的なセーラー服でした。男子は学ラン、女子はセーラー服。この決められた制服の服装に固い壁が存在していました。また、男子と女子が完璧に別れたコミュニティー形成がされていました。これに関しては、自然発生的なものかとは思います。
中学生になる前も自分からすすんでスカートを履くこともほぼなかったし、私は男子女子関係なく同級生の人たちと話をしていました。
いきなり違う世界に突入してしまったと思い焦りました。
そもそも、私が読んでいた漫画は少年漫画だったし、人形遊びもウルトラマンとか仮面ライダー人形で遊んでいたし、ファイナルファンタジーのゲームなどで遊んでいました。男子の人たちとゲームの攻略法や、漫画の話をすることの方が多かったです。女子の人たちとは、話をするというよりかは、一緒にバレーボールしたり、ジャングルジムを登ったりして遊んでいました。
中学生生活が始まった途端、女子と男子のコミュニティに差がありすぎて違和感を感じたため、なぜか思い切って髪型をスポーツ刈りにしてみたんです。そして、もろセーラー服が似合わなくなりました😅
「学校に行くのが息苦しい。制服着て学校に行きたくない。辛い。女子と男子で分けられるのも辛い。(+勉強も難しくなってきて学校に行くのがかなり辛い)」・・・と、「性別(主に社会的性別)について違和感を感じている」ということを周りの人たちにぼやき始めました。
すると、どこからともなくFtM (トランスジェンダー)のグループに関する情報が入ってきて、誰かがFtMのグループのシンポジウムイベントに誘ってくれました。シンポジウムでは、女性から男性に性転換手術したという方の話がありました。その方は虎井まさ衛さんです。
FtM界隈の開拓者として有名な方です。
その時のシンポジウムの参加者で中学生の参加者は最年少で珍しかったらしく、雑誌の記者の方は私にインタビューしていました。
この時はまだLGBTという言葉は世の中では使われていなかったけれど、このシンポジウムがLGBTの運動との初の出会いの場所となりました。
それから話は変わって家族にピンチの状況が訪れることになり、そもそも学校に行っている場合でもなくなってしまったので、LGBTに関する活動からは一度離れます。ですが、自分を取り巻く「性別」に関する違和感は感じたままでした。
しばらくは自分の性自認については「Xジェンダー」にしておこうということで落ち着きました。
Xジェンダーとは、男女のいずれか一方に限定しない性別の立場を取る人のことです。書類を書くときに自分の性のところは、男性と女性の欄の真ん中の空白に丸を付けていました。
これが私とLGBTとの出会いのストーリーです。
このように、私は自身のモヤモヤの気持ちの延長にLGBTのコミュニティとの出会いがありました。それも中学1年生、12歳の時だっというのも良かったです。昨今言われるLGBTや多様性についての話題は自分ごととして捉えられます。
時代は進み、世界でLGBTのパレードが行われるようになり、LGBTのYouTuberが当たり前のように人気になってきました。LGBTの方々の権利を守るための法律もできてきました。世の中変わりましたね。
世界規模で声を上げる人たちの存在があり、そういった人たちが政治の世界でも影響力を持ち始めたからです。
先人の人たちのおかげですね☺️🏳️🌈
そして今、今までLGBTについて考えたことがなかった方々たちも考えるべき状況が来ています。
社会には「生物学的な性」以外の概念が存在し、それが人を巻き込んでいる
肉体的な性、社会的概念としての性、社会的制度としての性、人々の中にある概念としての性、恋愛対象としての性、生物学的な相違としての性・・・
一言で「性」と言っても、様々な意味で「性」は存在します。
社会には様々なシュチュエーションが存在しますが、読者の方々も人生のどこかの時点で自分の性別に関する疑問を感じたことはありませんか?
私は上記で書いたように、中学生時代に、素朴に「性別」という概念に関して疑問が湧いてきました。
中学一年生の時点で、「性別」という概念を通して、これからの人生についてすごく不安に思い始めたのは、今のなっては貴重な経験だったと思います。
その時点で疑問を持たなかったら、無意識のうちに「社会で当たり前と扱われているから当たり前だろう」と捉え、その当たり前なことに疑問を持つ人たちを排除するような性格になったかもしれないです。
そこまでいかなくても、「あんまりわかんないかなー」と思って、当たり前と違うことに関しては「人ごとだし、あまり関係ないかな」と捉える性格になったかもしれません。
「ここで社会的に決められた価値観(ここでは「性別」)に対して反抗しておかないと、いずれ麻痺して疑いもしなくなり、社会に疑問を持たず、自分で物事を決められない人生を生きることになってしまうのでは?」というように、自分の魂が叫んでいるようにも思えました。
「この社会的通念としての『性』の世界観に入ってしまったら、普通に居心地悪いから、入りたくない。」
「選択できるのならば、心地が良い立ち位置を選択したい。」
「居心地が良い場所ってどこなんだろう?」
「ここで反抗しなきゃいけない。それが大事なことだ。」
・・・自分らしく生きることができる。自分のままでいれる。そんな環境を求めていたんだと思います。
・・・自分らしく生きることができる。自分のままでそこにいれる。そんな環境、あなたも欲しくないですか?
あなたにとって、「性別」とは何を示すものですか?
マイノリティにとっての不利なことは、大多数の人たちにとって全く気づかない箇所にあったりもします。配慮ある社会の構築のために、自分も何かやりたいなと思って、こうやって自分のLGBTとの出会いについて書くことにしました。
いかがでしょうか?LGBTが身近な事柄として感じていただけたのではないでしょうか?
だとしたら幸いです。
性別(ジェンダー)って言っても、生物学的なものだけではなく、社会的な概念としてのジェンダーが存在します。それが人としての尊厳を阻害し、配慮にかける結果につながっていたりするので、よく考えたいですね。
家族や友達と、ジェンダーについてオープンに話す機会を設けることをオススメします。多様性に関する寛容さが問われる時代ですし、なるべく早いうちに経験できたらいいですね。
他人の性自認や性指向についての決めつけは良くないと思うので、今後は自分の性自認や性指向についてオープンにするのがスタンダードになって欲しいなと思います。
「僕はストレートだけど、君は?」とか、「私の性自認は中性かなぁ。〜さんはどうなの?」とか。
人の性自認や性指向を決めつけずに、自分からオープンに話したりして、まずはコミュニケーションをとり意思疎通してみましょう。
この記事が読者の方々の参考になったとしたら幸いです。
今日も最後まで読んでくださりありがとうございました☺️
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