こんにちは!さて、今回は、意図しないところで学習する「偶発的学習 (英語: Serendipitous Learning / Incidental Learning)」についての記事を書きます。
「反面教師」という言葉にも表現されているように、人は教えられたこと以外の経験から学ぶことが多く、そちらの方が記憶に定着しているのではないでしょうか?
かくいう私も、ブログに書いている記事は自分の「偶発的学習」の成果に関するものが多いので、やっぱり偶発的に学習しているものの価値の方が、個人の記憶に定着しやすいということの表れかもしれません。
特に学習する意思をもたなくても、読書、映画鑑賞、旅行などのその他のあらゆる活動の中で、結果としてたまたま何かを学ぶことを「偶発的学習」といいます。英語では、セレンディピタス・ラーニングといいますが、セレンディピタスは、「たまたま発生した素敵な出逢い」を現す「セレンディピティ」の形容詞です。
なぜ今回、「偶発的学習」について書こうと思ったのかというと、これから不明瞭な時代に突入するから、ひたすら神頼みしまくる人とか、スピリチャルに一直線とか、儲かりそうな話に乗ってお金入れたはいいけど主催者にトンズラされる案件(ポンジスキーム)に引っかかるとか、そういう人で溢れかえるのでは?という懸念があるからです。
「2020年代は不明瞭な時代」とはいうけれど、以前の時代は明瞭だったのかと言えばそうではないはずです。20世紀後半でも、日本にとっては見えやすい、安定した時代だったかもしれませんが、その時代にも上記で書いたアフリカ、例えばコンゴでは内戦が続いていたり、エチオピアとエリトリアでは戦争していました。世界で起こっている事柄には、日本の国が関与していることも多くあります。
逆に興味を全く示さないことで、どこかの国で人が戦争で死ぬことに間接的に関与したりもします。どこかの国と同盟を結ぶことにより、積極的にどこかの国の戦争に間接的に関わるようなことだってあるかもしれません。20世紀後半も、世界的に見たら、決してフェアとは言えないし、安定した時代ではありませんでした。つながりが強かった時代でも決してありませんでした。
「もうどうしようもない!」というような非常時と、特にどん底に行くような気配はないけれど、そこまで急激に伸びることもしていない「通常時」があります。私たちは、時が経てば劣化し、壊れる/死ぬ摂理の世の中に住んでいるので、急激に成長し続ける以外には、衰退の道を進むしかありません。
まずは戦略的に手を尽くすこと、具体的な戦略の手立ての参考になる情報にあらかじめたくさん触れておくことは後々すごく大事になるということを今回は書いてみたいと思います。
頭の中の断捨離
National Science Foundationによると、人は60,000回ほどの思考をし、その80%がネガティブなものであり、95%は同じことを考えているとのことです。無駄な考えを起こさないように、無駄な情報はできる限り断捨離する必要があるのではないでしょうか?
例えば、私は朝ドラを中心としたテレビ視聴をやめました。よく無意識でドラマの展開を振り返ったりしてたんですよねー。その内容は、たまには役に立つかもしれませんが、多くの場合、ただ物語を無意識で頭の中で振り返って、今後のドラマの展開がどうなるのかドキドキワクワクしてただけです。
頭の中の思考の器が決まっているのなら、どう効率よくその器を使うかに注力を注ぎたいですね。
緊急事の良質なセレンディピティの働かせ方
緊急事には良質な判断ができません!緊急時に良質な判断ができるようになるのは積み重ねの結果なので、良質な決断ができるための材料を常日頃から持っておくことが必要です。
休みが必要な場合、こういう記事も書いたのでぜひ参考にしてみてください。
通常時の良質なセレンディピティの働かせ方
私がやっていることをリストします。参考になれば幸いです。
・YouTubeチャンネル/TEDなどで、良質な経済情報やビジネスに関する情報などを聞き流して、実際自分に役に立ちそうな良質な情報に触れまくる。
・Twitter/instagram/Facebookなどでは、具体的に自分のジャンルと関係のある人、参考になる人をフォローして、その人のためになりそうなコメントなどもしておく。
・常日頃からSNSには投稿し続ける。行動で、布石を残しておく。それにより、いざというときに覚えてもらえている状態を作る。
成長時の良質なセレンディピティの働かせ方
・自分の専門的なジャンルを扱っている会社のYouTubeアカウントを見つけて、カンファレンスビデオなどで話している内容などを聞き流す。
・一緒に成長体験ができそうな人と遊ぶ/旅をする。
・全く自分と違うジャンルの人たちと遊ぶ/旅をする。
一緒に成長体験ができそうな人や全く自分とジャンルの違う人たちと遊んだり旅をしたりするのはかなりお勧めです。
私は調子が良い時にはやんちゃさを発揮するので、結構破茶滅茶なことをします。
最近で言うと、全く違うジャンルの人たち=イスラム圏の中古車販売業者のお兄さんグループとオーストラリアのイスラム街で遊んだのは相当面白かったです。
オーストラリアで街の中で会う人たちのほとんどがイスラム圏の方々で、食べ物もハラール、アフガニスタン料理の屋台、銀行に行っても女性職員は頭に布を巻いてる人たちばかりでした。なぜか私はそこではほとんど辿々しくヒンディー語を喋っていました。一緒にカジノにも連れて行ってもらいました。
「高校の時の同級生が世界に散らばっていて、輸出・輸入ビジネスをするときにそのネットワークが使えるからビジネスを拡大しやすい」とか、「危ないと言われている国でもビジネスのためなら行き来する」とか、「英語ほぼ喋れないけど数字で指示ができるからいいんだ」とか。
「先進国のパスポートを持っていたらアフリカとかに行くときに逆に狙われて危ない目にあいやすいから、新興国のパスポートのままでいいんだ」とか、めちゃくちゃ刺激になる会話をいっぱい聞くことができました。カジノでもめちゃくちゃ勝ちまくってた。
私はそんな強気なタイプではありませんでしたが、こういう人たちに触れて、彼らみたいに「海賊」にならなきゃいけない時もある!って思えました。こういった偶発的な出会いが、自分の性格を作っていってくれます。
まとめ
緊急時にいきなり天から知恵は降ってきません。日々の積み重ねで、可能性の扉は開いていきます。
「意図的学習」だけでなく、「偶発的学習」も味方につけて、可能性の扉を開いていきましょう!
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